このホームページは、国土交通省江戸川河川事務所、流山「市民の会」久谷興四朗さん、
鵜沢俊明さん、元新松戸郷土資料館館長大井さん、新松戸花桃の会の方々に画像などご協力を頂きました。

知っちゃお!見ちゃお!愛しちゃお!       みんなの坂川
ホーム   みんなの坂川 坂川の昔  安全な川めざして  むかしとこれから  紙芝居   チャレンジ

雨のたびに逆流する逆川

農業をさかんにしたい
雨のたびに逆流する逆川
渡辺庄左衛門の挑戦
お願いと苦労
上郷と下郷の対立
話し合いによる約束
ほりつぎ工事の完成
思いをつないだ庄左衛門

 松戸市の坂川の流域には「七右衛門新田」、「主水新田」。「大谷口新田」といった地名があります。幕府は平坦な土地水田や畑に開墾することを奨励しました。いまも残る「新田」の地名は、さかんな新田開発を伝える名残です。
 こうして坂川に沿った地域に多くの村ができました。それらの地域は台地に比べて低地であることから、「下谷地区」とよばれました。さらに、坂川の上流にある村々は「上郷」、下流にある村々は「下郷」ろ区別してよばれました。
 もとは海の底だった土地ですから、下谷地区は水を多く含んだ沼地でした。それに、坂川の鰭ヶ崎あたりから先の下流にかけては、傾斜がほとんどない流れで、合流する江戸川との落差も少ないことから、大雨が降るたびに水が田や畑にあふれてしまう川でした。川の水が逆流することから、「逆川」という字で書いて、「さかがわ」とよばれていまいた。
 だから、地域の村々では、「三年に一度収穫があればよい」といわれるほど、洪水にはほとほと苦しんでいました。