このホームページは、国土交通省江戸川河川事務所、流山「市民の会」久谷興四朗さん、
鵜沢俊明さん、元新松戸郷土資料館館長大井さん、新松戸花桃の会の方々に画像などご協力を頂きました。
利根川東遷によって江戸川が誕生したころ、人々は主に農業で暮らしていました。そのため、土地を開墾して新しい田や畑をつくることにより、農業をさかんにしようとしました。これを新田開発といいます。
坂川の流れができた低地(下谷地区)でも、さかんに新田開発が行われました。下谷地区の地名には、「主水新田(もんとしんでん)」や「七右衛門新田」という開墾した人の名前をつけた地名が残っています。
農業をさかんにしたい
農業をさかんにしたい |
雨のたびに逆流する逆川 |
渡辺庄左衛門の挑戦 |
お願いと苦労 |
上郷と下郷の対立 |
話し合いによる約束 |
ほりつぎ工事の完成 |
思いをつないだ庄左衛門 |
下谷地区の位置図
(国土地理院)