このホームページは、国土交通省江戸川河川事務所、流山「市民の会」久谷興四朗さん、
鵜沢俊明さん、元新松戸郷土資料館館長大井さん、新松戸花桃の会の方々に画像などご協力を頂きました。

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渡辺庄左衛門の挑戦

農業をさかんにしたい
雨のたびに逆流する逆川
渡辺庄左衛門の挑戦
お願いと苦労
上郷と下郷の対立
話し合いによる約束
ほりつぎ工事の完成
思いをつないだ庄左衛門

このような状況に鰭ヶ崎の名主、渡辺庄左衛門(充房)は、川の流れを
良くすれば、洪水を防げるのではないかと考えました。
 今から約240年前の1781年(安政10年)、庄左衛門は上郷の12の
村々をまとめて、松戸宿(現在の赤圦)を経て栗山村まで、新しく川を掘って
逆川の流れを変える工事(掘つぎ工事)を幕府に願い出ました。しかし、
その願いは聞き入れてもらえず、庄左衛門らはそのあとも毎年のように
願い出を繰り返しました。
 最初の願い出から30年以上もたった1813年(文化10年)の正月、
ようやく工事がはじまりました。
 工事は、伝兵衛新田(現在の松戸市栄町、日本大学歯科学部のある
あたり)の一本橋から松戸宿までの約3.7Kmで、12月に工事が終わり
ました。しかし、村々をまとめて工事の願いを最初に出した庄左衛門
(充房)は完成を見ることなく、前の年に亡くなってしまいました。
 坂川の改修の思いは充房の子、庄左衛門(寅)に引き継がれていました。
 でも、工事が終わっても、期待していたように坂川は良く流れてくれず、
洪水のたびに田畑が水浸しになる被害が続きました。

「流れを良くすれば!」新しい川をつくる